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◆蔵元訪問記 「雁木」八百新酒造◆

平成16年3月3日に山口県岩国市にある清酒蔵「雁木」こと八百屋新酒造さんに行ってきました。
その時の様子を断片的ではありますが、アップいたしました。バーチャル蔵見をお楽しみ下さい。



 「雁木」こと八百新酒造さんは、山口県の岩国市にあります。岩国市は山口県でも最も東に位置し、お隣はすぐ広島県です。蔵は錦川の河口の川縁に位置し、当時は、その川縁は「雁木(がんぎ)」と呼ばれる船着場でした。その船着場「雁木」から、八百新の酒が舟に積まれ、消費地へ盛んに送られていた様子が伺えます。しかし現在ではその海の交通も消滅し、川縁はコンクリで固められ、残念ながら当時の活気があっただろう面影を見ることは出来ません。しかし、驚いたことに蔵自体は、その当時(明治〜大正?)の面影を100%そのままに残しています。大正ロマン的なハイカラな建造物なのです。現在の蔵の実質的代表者である小林専務も言っておられます。「建物が古いので、壊して新築にしたほうが簡単だし安いのですが、この建物(蔵)は大切に保存していきたいと思っております。痛んだ箇所を少しずつ手直ししながらやっております。」

 八百屋新さんでは、(もちろん全国の殆ど全ての蔵がそうであるように)地下水を汲み上げて酒造りを行っておりました。ところがです。八百新さんは河口の川縁に位置しております。なんと川の上流にダムが建設されました。錦川の水位は下がりました。大水の時の川の氾濫の危険は無くなったのですが、河口で海が近いために、海水の逆流が生じるようになりました。その結果、地下水に塩水が混じるようになったそうです。これでは酒造りどころではありません。一時は廃業すら考えたそうですが、優れた水を求めて、錦川上流へと水探しをされたそうです。もともと錦川の水質はたいへんきれいなもので、その上流に数箇所採掘場所を確保でき、現在はタンクローリーで水を運んでいるそうです。どこの蔵でも何気なく使っている水ですが、その有り難さが身に染みて感じられると小林専務は語っておられました。


 右が八百新酒造の実質的な代表者である小林社長です。(左は私:阿波タカヒロです。)八百新酒造さんの代表銘柄は写真の木札にも書かれている「錦乃誉」です。この「錦乃誉」は地元・岩国の人々に長年愛されている地酒です。当店の取り扱わせて頂いている「雁木」という銘柄は、八百新酒造さんが全国の酒通の皆様に、山口・岩国にはこんなに美味い酒があるだと知ってもらうために、全国の地酒専門店向けに開発された無濾過「雁木」というブランドです。  玄関です。ひじょうに歴史あるたたずまいが見てとれます。

 杉玉(酒林)が吊っておられます。なんとこの杉玉は自家製で、近くの杉の木の枝をとってきて、作られたそうです。

 玄関の戸の上に「元造醸菊新」という古い木の看板があります。これは右から読むと「新菊醸造元」です。「新菊」とは、創業当時の銘柄なのだそうです。創業者の名前が八百屋新三郎で、その奥様が菊様だったそうで、両方の名前をとって「新菊」と名付けたそうです。夫婦で力を併せてやってこうという姿勢、また夫婦仲の良さが感じられました。今以上に男性社会だった当時から考えると、凄い事ですね。  中に入ると「雁木」ほか八百新酒造のお酒が陳列され、迎えてくれました。

 @さて、これはいったい何でしょ〜???

玄関の戸を開けて入って畳一畳分くらい行った所の頭の上(天井のハリ)に、手をかたどった古い木製のものがありました。

昔は玄関の戸が引き戸ではなく、吊り戸のようなものだったそうで、その戸を引っ掛けるものだったそうです。小林専務は子供の頃、これを見ては怖い思いをしていたそうです。だって、天井からニョキニョキっと手がぶら下がっているんですからね。(また、これは創業者:八百屋新三郎氏の手作りのものだそうです。とっても器用な方だったのですね)
 「お宝」を見せてもらいました。これはつい最近蔵の中で発見されたものだそうです。当時の広告(チラシ)だそうです。版画です。色もひじょうに鮮やかで、芸術的に見ても素晴らしいものではないでしょうか。



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