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◆伝説のさなぼり焼酎・蒸留◆

 平成14年3月29日に杜の蔵(福岡県三潴町)に、たいへん貴重な明治・大正期の「かぶと釜」が偶然にも入手でき、その釜を用いて当時の焼酎の造りを再現しようということで、その「粕取り焼酎」の蒸留に立ち会ってきました。

 蔵元(社長)から、この「さなぼり焼酎」について、たいへん興味深いお話を聞くことができました。日本の焼酎発生・文化のルーツにも通づるお話でした。少々長い文章です。興味のある方はじっくり読んでみて下さい。簡潔に済ませたい方は写真をご覧になりながら飛ばし飛ばしにどうぞ



 この焼酎は、分類から言いますと「粕取り焼酎」と言われるものです。酒粕を原料に造られることから、この名前がついています。では、何故「さなぼり焼酎」というか。ちなみに漢字で表すと「早苗饗」となります。
◆早苗饗とは・・・  早苗饗焼酎は、ここ筑後地方の農村文化と長い間深い関わりをもってきました。江戸中期から明治中期にかけて各農家で粕取り焼酎造りが盛んに行われてきました。その主目的は焼酎粕(さなぼり焼酎を造った後に出るカス)を稲作の肥料とするためであり、焼酎はその副産物といえるものでした。この焼酎を田植えが済んだ後の骨休めのお祭り「早苗饗」で楽しんだことから早苗饗(さなぼり)焼酎と呼ばれていました。
 当時の農家は、各家ごとに焼酎の蒸留器があり、皆自分の家で焼酎を造っていました。また、当時は村社会で、村人が総出で、各農家ごとの収穫をお互いに手伝っていました。そして、自分の田の収穫が終わると皆に自分の家の焼酎を振舞っていました。(聞くところによると、東北の方でも同じ風習があったそうです。ただそちらの方は焼酎ではなく、お酒を振舞っていたそうです。)

 今回のさなぼり焼酎の復活については、その詳しい製造方法など、文献等が全く残っておりません。残っているのは、偶然見つかったたったひとつの保存状態の良い「かぶと釜」のみです。したがって、当時の人々が多分こうやって造っていたであろうを想像の基に行われました。

◆粕取り焼酎
   とは・・・
 粕取り焼酎とは、酒粕を原料に造られる焼酎のことです。簡単に言いますと、酒粕に籾殻(もみがら)を混ぜて蒸留させたものです。(実は、この「粕取り焼酎」こそが、ここ北部九州土着の焼酎なのです。南九州が芋焼酎が土着の焼酎であるのと同じく。)


さなぼり焼酎「常陸山」ついにリリース!

 原料となる酒粕です。60%精米の純米酒の酒粕を使用しています。詳しく言いますと、その酒粕に少量の水を加えて約1ヶ月間再発酵させます。アルコール度は約14%です。(レギュラータイプの粕取り焼酎の場合、水を大量に加えて、かなりドロドロになっています。)  もうひとつの原料である籾殻(もみがら)がベルトコンベアーに乗ってきています。(最高品質の籾殻を使用しています。)

 上の酒粕と籾殻が、ここで混ぜ合わされます。  蒸留器は三層構造になっており、一層目(一番下)セイロに原料が入ってきています。

 蔵人達の手によって、さらにかき混ぜていきます。  酒粕と籾殻がよく掻き混ぜられて出来た原料です。

 セイロ式かぶと釜のベースです。この上に三層のセイロ。最上段に「かぶと釜」がセットされます。  セイロはリフトに吊って移動していきます。

 一層目のセイロが慎重にセットされます。  同様に、二層目のセイロがセット完了。



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